ある土曜日、仕事帰りにふと立ち寄った古本屋で、俺は一冊の古びた日記帳を見つけた。店の奥の薄暗い棚に無造作に積まれた本の中に、それはひっそりと置かれていた。埃をかぶり、表紙はひび割れ、かすれて読めない文字がわずかに残っていた。奇妙なことに、それが目に入った瞬間、無意識に手を伸ばしていた。
店主に確認すると、古書というよりも雑貨扱いのようで、値段もほとんどついていなかった。興味本位でその日記帳を買い、家に帰った俺は、夕飯を終えた後、ソファに座ってそれを開いてみることにした。
中のページは黄ばんでおり、古いインクの匂いが鼻を突いた。手書きで綴られた文字は独特な筆跡で、読みづらかったが、少しずつ解読できる内容に鳥肌が立った。
最初は普通の生活記録だった。持ち主がどんな人だったのかは明確には書かれていないが、文章からして女性のようだった。日常の出来事や感情が細かく綴られていたが、ページを進めるうちに、雰囲気が一変していった。
「ここ最近、夜になると奇妙な音が聞こえる。誰もいないはずなのに、部屋の隅で何かが動く気配がする。」
「鏡を見ると、背後に黒い影が映る。振り返ると何もないが、その感覚が消えない。」
それ以降の日記は、不安と恐怖で満たされていく。夜中に誰かが耳元で囁く声、部屋の中で突然冷たい風が吹く、物が勝手に動くといった体験が増え、日記の持ち主は徐々に精神的に追い詰められていったようだ。
「これ以上耐えられない。何かが私を見ている。誰か、助けて。」
その一文を最後に、日記は唐突に終わっていた。俺は妙に不安を感じながらも、「ただの妄想だろう」と自分に言い聞かせ、本を閉じた。
だが、その夜から奇妙な出来事が起こり始めた。
最初は、寝ているときにふと目を覚ました瞬間、部屋の隅に黒い影が見えた気がした。だが、目を凝らして見ると何もない。ただの目の錯覚だと思い、再び眠りについた。しかし、翌日も、そしてその次の日も、同じようなことが続いた。
次第に、日常生活にも影響が出始めた。家の中で、誰もいないはずなのに足音が聞こえる。物が勝手に動いたり、夜中に耳元で微かな囁き声が聞こえたりする。まるで日記に書かれていた出来事が、自分に降りかかっているかのようだった。
不安に駆られた俺は、再びあの日記を読み返してみた。何か見落としがあるのではないかと思い、ページをめくっていくと、最後のページの裏に小さな文字で何かが書かれているのを見つけた。
「この日記を手にした者は、私と同じ運命を辿る。逃れる方法はただ一つ、この日記を他の誰かに手渡すこと。」
その一文を読んだ瞬間、全身に冷たい汗が滲んだ。俺が今体験していることは、まさにその通りだった。そして、日記の持ち主が追い詰められていった感覚が、まるで自分のもののように感じられた。
それからというもの、異変はさらに悪化した。深夜、ふと目を覚ますと、ベッドの足元に黒い影が立っている。顔は見えないが、確実にこちらをじっと見つめている感覚があった。電気をつけるとその影は消えるが、気配は確かにそこに残っている。
怖くなり、知人にこの話を相談したが、誰も信じてくれない。「疲れているだけだろう」「考えすぎだ」と言われるだけだった。だが、日記に書かれていた内容と自分の体験が完全に一致していることに、もはや偶然だとは思えなかった。
ついに耐えきれなくなった俺は、日記を捨てることを決めた。だが、ゴミ袋に入れて捨てても、翌朝にはなぜか部屋に戻ってきている。まるで手放すことを拒まれているかのようだった。絶望感に包まれ、夜も眠れなくなった俺は、最後の手段として、日記を他人に渡すことを考えた。
だが、誰かにこの呪いを押し付けることに罪悪感を覚え、実行には移せなかった。そうしている間にも、俺の周りでは不気味な現象が増え続け、精神的にも限界が近づいていた。
そんなある日、あまりの疲労と恐怖で意識が朦朧としている中、また耳元で囁き声が聞こえた。「あなたも逃げられない…」
その声を聞いた瞬間、意識が途切れた。目を覚ますと、日記は枕元に置かれており、最初のページには新たな文字が加えられていた。
「次は、あなたが書く番だ。」
俺は震えながらペンを握り、その日から自分の体験を書き始めることになった。日記に書かれた呪いが、自分に向けられたものだと実感したからだ。
このままでは、俺も前の持ち主と同じ運命を辿るだろう。だが、日記を他人に渡す勇気もない。呪いの連鎖を断つ方法がない限り、この恐怖は永遠に続いていくのかもしれない。
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