深夜、オフィスにはわずか数人の社員が残り、いつも通り静かに仕事をしていた。私は納期が迫っている案件のため、どうしても今日中に片付ける必要があった。ふと気づけば、時計の針はすでに深夜1時を回っていた。
オフィスは広く、フロアの遠くにある別の島（デスクエリア）で、2名ほどの同僚が残業をしているのが見えた。彼らも同じように忙しそうにパソコンに向かって作業をしている。フロア全体は静まり返り、時折聞こえるキーボードを叩く音が響いていた。
少し疲れを感じた私は、気分転換を兼ねて窓の方へ歩いていくことにした。オフィスの窓からは、夜のビル街が一望できる。普段なら煌々と輝くネオンや車のライトが見えるはずだった。しかし、その夜は何かが違っていた。
窓の外を見た瞬間、私は言葉を失った。
そこには、見慣れた現代の風景ではなく、まるで時代劇の中に飛び込んだかのような、昔の日本の風景が広がっていた。茅葺き屋根の家々、石畳の道、そしてぼんやりとした提灯の光が静かに揺れている。人影もまばらで、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような光景だった。
「こんなはずはない…」私は慌てて目をこすり、もう一度窓の外を確認したが、やはり同じ光景が広がっている。恐怖と混乱が一気に押し寄せ、心臓が激しく鼓動し始めた。
オフィスの中を振り返ると、そこはいつも通りの風景だった。蛍光灯が照らすフロア、散らばった書類、そして遠くの島で黙々と作業する同僚たち。すべてが普段と変わらない。
「どうかしてるのか…？」そう思いながらも、再び窓に目をやると、外の風景はやはり時代錯誤のままだった。まるで、自分だけが別世界に引きずり込まれたような感覚に襲われ、身震いがした。
この異常事態を誰かに伝えなければと思い、フロアの遠くにいる同僚たちに向かって声をかけた。「おい、ちょっと窓の外を見てくれ！ 何かおかしいんだ！」
同僚たちは、私の呼びかけに応じてこちらを振り向いた。だが、次の瞬間、全身に寒気が走った。
彼らの顔は、まるで人間ではなかった。皮膚の質感が不自然で、まるでプラスチックのように硬い。目は光を失い、どこか焦点の定まらない目つき。表情は固く、まるでロボットのようだった。さらに、口元は不自然に引きつり、まるで人間らしい感情が欠けているかのようだった。
「おかしい…これは何かが違う…」
そして、彼らは一斉に口を開き、話し始めた。しかし、その声はどこか機械的で、聞き取れるはずの日本語がまるで意味を成していなかった。発せられる言葉は、何語かも分からない無意味な音の羅列だった。まるで、壊れたラジオから流れる雑音のように、異質で不気味な響きだった。
彼らは私に向かってその不気味な言葉を繰り返し続ける。全身に鳥肌が立ち、背筋が凍りついた。「これは、普通じゃない…！」強烈な恐怖に駆られ、私はオフィス内を駆け回り、他に誰かがいないか探し始めた。
オフィスのあちこちを調べたが、誰一人として見当たらない。フロア全体が異様に静まり返り、まるで時間が止まったかのようだった。焦燥感と恐怖で頭がいっぱいになり、窓の外を再び確認すると、やはりそこには異世界の風景が広がっていた。
私は心の中で何度も「元の世界に戻してくれ」と祈るように願った。しかし、時間は遅々として進まず、まるで止まったままのようだった。耳元にはまだあの異質な言葉がかすかに響き続け、まるで何かが迫ってくるような気配が漂っていた。
その時、ふと外が明るくなったことに気づいた。薄明かりが差し込み、やがて朝日が昇り始めたのだ。「朝だ、やっと朝が来た…！」そう思い、私はほっと胸を撫で下ろした。
窓の外を見ると、そこにはいつものオフィス街の風景が広がっていた。ビル群と車の流れ、そして行き交う人々の姿。異常な光景はどこにもなく、ただの普段通りの朝が訪れていた。
私は安堵し、フロアを見渡すと、先ほどの異様な「同僚たち」はいなくなっていた。デスクはそのまま、静かなオフィスが広がっているだけだ。あの異常な時間は一体何だったのか、今でも分からない。
ただ、あの夜以来、私は深夜の残業を極力避けるようにしている。何かがあの時間に引きずり込もうとしていたのかもしれない。現実なのか幻覚なのか、その答えは今でもわからないままだ。
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