怖い話 奇妙な話 不思議な話 短編集

時計の針が映し出す過去の断片 怖い話 奇妙な話 不思議な話 短編集

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松本沙織は、都心の古びたアンティークショップを訪れるのが趣味だった。幼い頃から骨董品に魅了されており、古いものが持つ歴史や時間の重みを感じるたびに、心が躍るのを覚えていた。ある日、仕事帰りにふと立ち寄った小さな店で、ひとつの古い時計が目に留まった。

その時計は、丸みを帯びた金属製のフレームに囲まれた、シンプルなデザインだった。文字盤には少し色褪せたローマ数字が刻まれ、長い年月を経たことを物語っている。時計の針は止まっていたが、どこか懐かしさを感じさせる不思議な雰囲気があり、沙織はその時計に強く惹かれた。

「これ、いくらですか?」

店主に尋ねると、彼は少し驚いたようにその時計を見つめ、やや渋い顔をした後で、「古いものだから、特に価値はないと思いますよ」と言いながらも、手頃な価格で売ってくれた。沙織は喜んでその時計を手に入れ、早速自宅に持ち帰った。

家に帰ると、沙織は時計を棚の上に飾り、止まっていた針を動かそうと文字盤に手を伸ばした。針を回すと、時計がカチカチと音を立てながら動き始めた。ふと、その音に合わせるように、沙織の頭の中に不思議な感覚が広がった。

最初はただのめまいだと思ったが、それはすぐに鮮明な映像へと変わっていった。沙織の目の前に広がったのは、自分自身の記憶の断片だった。幼い頃に通った小学校の校庭や、初めて家族で訪れた海辺、そして友人と過ごした懐かしい日々。これらの光景が、まるで映画のように次々とフラッシュバックしていく。

沙織は驚きと同時に、何か胸が締め付けられるような感覚を覚えた。その映像は、決してただの記憶ではなかった。まるで彼女がその場に再び立ち会っているかのように、匂いや音、感情までもが鮮明に蘇るのだ。時計の針を動かすたびに、過去の出来事が次々と押し寄せ、沙織は一瞬でその時間へと引き戻される。

次の日、沙織は仕事から帰ると、再びその時計に手を伸ばした。今度は、少しゆっくりと針を回してみた。すると、またもや過去の映像が目の前に広がった。今度は高校時代の友人たちとの記憶だった。笑い声や涙、淡い恋の記憶が鮮明に蘇り、沙織の心は揺れ動いた。

しかし、この奇妙な体験が続くにつれ、沙織は次第にその魅力に取り憑かれていく自分を感じるようになった。過去の幸せな思い出をもう一度味わいたいという欲望が、彼女の心を支配し始めたのだ。毎晩、帰宅後に時計の針を回し、過去の断片に浸ることが、沙織の日課となっていった。

ある日、沙織は特に大切な記憶を追体験したくなった。それは、大学時代に付き合っていた恋人との思い出だった。彼とは別れてからも友人として付き合いが続いていたが、心の奥底には未練が残っていた。彼と過ごした楽しい日々をもう一度感じたい、その思いが強くなり、沙織は時計の針を過去に向けてゆっくりと回した。

すると、再び映像が目の前に現れた。大学のキャンパスや、二人で訪れた思い出の場所が次々と映し出され、沙織の心は懐かしさと切なさでいっぱいになった。しかし、その映像が続くうちに、ある異変に気付いた。

映像がどんどん進んでいくにつれ、沙織は自分がその記憶の中で次第に疎外されていくような感覚に囚われた。恋人との思い出は、やがて二人の別れのシーンへと移行し、そして彼が新しい恋人と過ごす姿が現れた。沙織はその光景を見ながら、胸に深い痛みを感じた。

「こんなこと、見たくなかった…」

沙織は思わず呟いたが、映像は止まることなく続いていく。時計の針が進むにつれ、彼女の記憶は次第に過去の痛みや後悔、そして失ったものに焦点を当てるようになった。やがて、彼女はその記憶が自分の心を蝕むことに気づき始めた。

それでも、沙織は時計の針を止めることができなかった。過去の美しい記憶に浸ることで得られる幸福感が、彼女を引き戻す力を超えていたからだ。しかし、その代償として、彼女は徐々に現実との距離を感じるようになった。

ある夜、沙織はとうとう限界を迎えた。時計の針を回す手が震え、目の前に広がる過去の断片が、今度は彼女自身を苦しめるものとなっていた。美しい記憶の裏に潜む、見たくなかった過去の傷や忘れたい出来事が、次々と現れたのだ。

「もうやめて…」

沙織はそう叫びながら、必死に時計の針を止めようとした。しかし、針は止まることなく、過去の映像は彼女の心を抉り続けた。過去に囚われすぎた沙織は、今を生きる力を失いかけていた。

その瞬間、沙織は悟った。過去を追い求めることが、自分を現実から遠ざけ、今を生きる力を奪っていたのだ。彼女は涙を流しながら時計を棚に戻し、二度とその針に触れないことを誓った。

それからというもの、沙織は過去の記憶を思い出すたびに、時計の針が映し出した断片を思い出し、心に湧き上がる感情を抑えながらも前を向いて生きていく決意をした。過去は確かに美しいものもあるが、それに囚われることなく、今を大切にすることが何よりも重要だと気づいたのだ。

時計は今も沙織の部屋に静かに置かれているが、その針は再び動かされることはない。ただ、その存在が彼女にとって、過去を学びながらも前に進むための象徴として残り続けている。



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