会社帰りの夕方、いつも通りの時間にバス停へと向かった。疲れた体を引きずりながら、バスに乗り込み、すぐに座席に腰を下ろす。乗客はほとんどいない。いや、正確に言うと、誰もいない。
「こんな時間に、俺一人か…」
平日の夕方で、こんなことは珍しかった。会社帰りの時間帯は、いつもはもう少し混んでいるのが普通だ。少しだけ訝しく思ったが、深く考えることもなく、窓の外をぼんやりと眺めた。
バスは静かに走り出した。オレンジ色に染まった街並みが、窓の外をゆっくりと流れていく。いつも通りの風景が広がり、少し安心した気分になっていた。
すると、次の停留所でバスが停まり、ドアが開いた。
乗り込んできたのは、思いもよらない人物だった。友人の田中だった。
「おお、久しぶりだな!」
彼は元気そうに声をかけてくる。その顔を見た瞬間、私は一瞬言葉を失った。田中は重い病にかかって、長い間入院していたはずだ。つい先日お見舞いに行った時も、彼は病室のベッドに横たわっていて、あまり動ける状態ではなかった。
「…田中?お前、元気そうだな」
私は戸惑いながらも、声をかけた。すると田中はニコッと笑いながら座席に腰を下ろした。
「たまたまこっちに来てたんだ。ようやく退院できてな。元気になったよ」
「退院?そっか、それは良かったな」
彼の話を聞いて、私は心から安堵した。あの病気は不治の病と聞いていたので、正直驚いていた。しかし、こうして目の前に元気な姿でいる彼を見ていると、妙に納得させられるような気もした。
「本当に元気になったんだな。いやあ、こないだお見舞いに行った時は、まだ大変そうだったから、信じられないよ」
私は率直な気持ちを伝えた。田中は少し照れたように笑いながら答えた。
「お見舞いありがとうな。まあ、奇跡ってやつかもしれないな。でも、こうやって元気になれたんだし、これからは普通に生活できるよ」
その言葉を聞いて、少しだけ疑問が頭をよぎった。あの病気で奇跡的に回復したなんて話は、あまり聞いたことがない。しかし、彼がこうして元気にバスに乗っているのを見ていると、それ以上詳しく聞くのも野暮だと思った。
「そっか、それは本当に良かったな。いやあ、これでまた前みたいに飲みに行けるな」
「そうだな、また近いうちにみんなで集まろうよ」
私たちはその後、いつものようにたわいない話をしながら、バスが進んでいくのを見送った。大学時代の思い出や、共通の友人たちの近況など、話題は尽きなかった。まるで、病気なんてなかったかのように、田中は昔と変わらず、元気いっぱいに話していた。
しばらくすると、私の降りる停留所が近づいてきた。
「じゃあ、そろそろ降りるわ」
そう言って立ち上がると、田中が「ちょっと待て」と声をかけてきた。
「これ、記念に渡しておくよ」
そう言って、彼は小さな包みを手渡してきた。何かのアクセサリーのように見えたが、包みの中身はその場では確認しなかった。
「ありがとう。今度、また集まる時に話そうな」
そう言って、私はバスを降りる準備をした。降り際に、田中ともう一度目が合った。
「元気でな」
「お前もな、またな」
お互いにそう言って別れ、私はバスを降りた。ドアが閉まり、バスは静かに走り去っていく。私はその場で見送るように立っていたが、ふと、最後に田中の顔が気になった。
彼の顔は笑顔だった。だが、その笑顔の中に、涙が浮かんでいることに気づいた。何かが引っかかるような違和感を覚えたが、バスはすぐに遠ざかっていき、田中の姿は見えなくなった。
「なんだろう…?」
その瞬間、ポケットの中でスマホが振動した。何気なく取り出して画面を見ると、共通の友人からのメッセージが届いていた。
「田中、さっき亡くなったって…知らせが来たんだ」
一瞬、心臓が止まりそうになった。メッセージを見返しながら、頭が混乱した。今、田中に会ったばかりだ。バスの中で彼と話して、笑い合って、元気になったと聞いたばかりだ。それなのに、彼はもう亡くなった?
そんなはずがない。
私はしばらくその場に立ち尽くし、頭の中で必死に状況を整理しようとした。だが、どれだけ考えても、先ほど会った田中の笑顔と、メッセージに書かれた「亡くなった」という事実が繋がらなかった。
手の中に残っている、田中から渡された小さな包みをじっと見つめながら、私はただ立ち尽くしていた。
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