診察室はいつもの静けさに包まれていた。決まり切った質問を終えた後、患者は少し落ち着かない様子で私を見つめた。
「先生、最近変な夢を見るんです…」
私は彼の顔を見て、静かに促した。
「どんな夢だったんですか?」
彼は少し考え込みながら、夢の内容を話し始めた。
「夢の中で、最初はいつも通り朝起きて、会社に行く準備をしていました。朝食を食べて、スーツに着替えて、家を出ました。ここまでは、何もおかしなことはありませんでした。駅に向かう途中、町中は出勤時間で人も多いし、車もたくさん走っていました。」
私はメモを取りながら、さらに話を促した。
「その時、何か変わったことに気づいたんですか?」
「そうなんです……ふと気づいたんですが、音が全く聞こえないんです。周りには人も車もたくさんいて、普段なら話し声や車の音が聞こえるはずなのに、何も音がしない。まるで世界がミュートされたかのように……完全な無音でした。」
彼は夢の奇妙さを思い出しながら、続けた。
「最初は自分の耳がおかしくなったのかと思って、耳を塞いだり開けたりしてみたんです。でも、何も変わらなくて、周りを見回してみると、みんな手話やメモを使って会話しているんです。まるで、音が存在しない世界のようで……。」
私は少し身を乗り出し、彼に質問を投げかけた。
「その時、どんな感情が湧いてきましたか?」
「最初は混乱しました。でも、次第に怖くなって……この世界に自分だけが違う存在なんじゃないかって。周りの人は普通に手話や手記でやり取りをしていて、自分だけがその世界に適応できていない感じがしたんです。どうにかしようと思って、近くにいた見知らぬ人に助けを求めようとしました。」
彼は深く息を吐き、当時の不安を振り返りながら続けた。
「その人は僕の肩を軽く叩いて、手話で話しかけてきたんです。でも、僕は手話がわからなくて、必死に『僕は手話ができません』って伝えようとしました。だけど、何をどう伝えたらいいのかわからなくて、うまく伝わらない。周りの人たちは皆、僕が何を言っているのかわからないような顔をしていて、余計に焦りました。」
私はその状況の中で感じた彼の孤独感に共感しながら、さらに問いかけた。
「その時、どうしていましたか?」
「誰か、言葉で話せる人がいないかと思って、街をさまよい歩きました。でも、どこに行ってもみんな手話をしているか、手記でやり取りをしているだけで……音が存在しない世界なんだって、徐々に理解していくんです。でも、自分だけがその世界に馴染めなくて、どんどん孤立していく感じがしました。」
彼の話はどんどん不安と孤独を強調していたが、その後の展開を待ちながら、私は続きを促した。
「それから、どうなったんですか?」
「街中を歩き回っていると、一人のスーツを着た女性が歩いてきたんです。なぜか、その人なら僕のことをわかってくれるって思ったんです。理由はわからないけど、その人に助けを求めるべきだって直感的に感じて……。」
彼の表情が少し穏やかになり、話はクライマックスに向かっていた。
「その女性に駆け寄って、手話ができないことや、自分が音のない世界に迷い込んでしまったことを一生懸命に伝えました。すると、その女性は何も言わずに僕を優しく抱きしめてくれたんです。まるで母親のように、温かい抱擁で……その瞬間、すごく安心して、全てが解決するような気がしたんです。そして、そのまま目が覚めました。」
彼は少し安堵した様子で話を締めくくったが、その夢の余韻がまだ残っているようだった。
「その抱擁が、あなたにとって大きな意味を持っていたようですね。夢の中で音が消えるというのは、周りの世界との断絶を感じている可能性があります。でも、その女性の存在が、何かあなたの中で救いや繋がりを象徴しているのかもしれませんね。」
彼はしばらく黙り込んで、私の言葉を考え込んでいるようだった。
「そうかもしれません……最近、人との繋がりをうまく感じられないことが多くて、誰とも本当の意味で話せていない気がしていました。でも、あの女性の存在が、何かを取り戻してくれたような気がします。」
診察室を後にする彼を見送りながら、私はその夢が彼にとって重要な意味を持っていることを感じた。音のない世界、手話でのやり取り、そして最後に現れたスーツ姿の女性――その全てが、彼の心の深層にある孤立感と、そこからの解放を象徴しているのかもしれない。
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