その夏、私はリゾートバイトで海辺のホテルに勤めていた。昼間は観光客でにぎわうこのリゾート地も、夜になれば静かで落ち着く。仕事は多く、忙しい日々が続いていたが、夜勤のフロントを任されることが多くなり、私は一人で夜中のホテルを見回ることも増えていた。
その日も、深夜のフロント業務をしていた。時計は午前2時を過ぎ、館内はすっかり静まり返っていた。外からは波の音がかすかに聞こえるだけで、観光客たちは皆、部屋で眠っている。私はデスクで書類整理をしながら、平穏な夜の時間が過ぎていくのを待っていた。
「はぁ、あと数時間で夜勤も終わりか…」
そう思いながら、デスクに身を寄せていた時だった。エントランスの自動ドアがゆっくりと開く音が聞こえた。
「こんな時間に…誰だろう?」
驚きながら、私はフロントに立ち、エントランスの方を見た。そこには一人の客がゆっくりと入ってきた。客はうつむいていて、その顔ははっきりと見えない。全身は普通の観光客らしき服装だが、何か違和感を感じさせた。
私は深夜にチェックインする客はほとんどいないため、不審に思いながらも、いつも通り対応することにした。
「申し訳ありません、今日はすべてのお部屋が満室でして…もうお部屋をお貸しすることができません。」
そう伝えると、その客はゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、全身に冷たい恐怖が走った。
目の前に立っているその客の顔は、まるで作り物のようだった。目は焦点が合わず、ガラス玉のように無機質で、口元には引きつったような笑顔が浮かんでいる。何かが壊れたように、不自然な角度で笑っているその顔には、どこか人間らしさが欠けていた。
「……」
私は言葉を失った。その客は、笑顔を浮かべたまま、口を開いて何かを話し始めた。しかし、そこから発せられたのは、言葉にならない奇妙な音の羅列だった。まるで、言葉を真似しているかのように、しかしそれは全く意味をなさない音でしかなかった。
「何だ…これ…?」
恐怖で動けなくなった私は、一瞬その場に立ち尽くしたが、次第に足が震え始めた。これは、普通の人間じゃない――目の前にいるのは「偽りの人間」だ。
「やばい、逃げなきゃ…!」
私は咄嗟にフロントから後ずさり、ホテルの奥に向かって走り出した。しかし、走り出すとすぐに気づいた。ホテルの中にいた他のお客や従業員たちが、全員「偽りの人間」に変わっていた。
廊下を進むと、いつもは笑顔で接客している従業員たちも、今では全員無表情で、無機質な笑顔を浮かべている。焦点の合わない目、ぎこちない動作――まるで彼らも「偽りの人間」に成り果てていた。
「どうして…こんなことが…」
私は息を切らし、パニック状態になりながら走り続けた。どこへ行っても、偽りの人間たちがじっと私を見つめてくる。その目は、どこか空虚で、生気を感じられない。私の心臓はバクバクと高鳴り、冷たい汗が背中を流れていた。
ホテルのロビーに戻ろうとしたその瞬間、足がもつれて転んでしまい、尻もちをついた。目の前にあったのは、エントランスに立っていた偽りの客。その無機質な笑顔が私を見下ろしている。
「ォ……アァ……」
意味を成さない音が、再び彼の口から漏れた。私は全身が凍りつくような恐怖に包まれ、動けなくなった。必死に後ずさりしようとするが、体が硬直してしまい、息もできないような感覚に襲われた。
その時――
「こんなところに紛れ込んでしまったのか…」
突然、背後から男性の声が聞こえた。振り返ると、そこには制服を着た警察官のような、しかし警備員にも見える男性が立っていた。彼は私を見て、ため息をつきながらゆっくりと近づいてきた。
「もう、ここには来ちゃダメだよ。」
彼がそう優しく言った瞬間、私ははっとして目の前の光景が一瞬で変わった。
気づけば、私はフロントに座り込んでいた。ホテル内はいつも通り静かで、波の音が遠くからかすかに聞こえる。目の前にいた偽りの人間たちは、まるで幻のように消え去っていた。
「…なんだったんだ、今のは…」
私は呆然としながらも、冷や汗をかきつつ、なんとか深呼吸をした。まるで夢の中で起こったことのようだが、あまりにも現実的だった。
恐怖がまだ体中に残っていたが、私はその場に座り込んでいた。あの偽りの人間たち――そして警察官のような男の言葉が、頭から離れなかった。
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