その日、私は仕事を終えて最寄り駅に降り立った。夜風が少し肌寒く、疲れた体を引きずるようにして自宅へと向かう。駅から家までは10分ほどの距離だが、住宅街の細い道を通らなければならない。夜は街灯も少なく、静まり返っているこの道が、どうにも好きになれない。
「今日も疲れたな…」
そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、道の真ん中に何かが横たわっているのが目に入った。
「ん…?」
暗がりの中、よく目を凝らすと、それは中年の男性だった。道のど真ん中に大の字で寝そべるように倒れている。
「……何してんだ、こんなところで」
正直、めんどくさいと思った。酔っ払いか何かだろうが、見なかったことにして通り過ぎるのも後味が悪い。こんな場所に寝かせておくわけにもいかないし、何かあっても嫌だ。
ため息をつき、私は男性に近づいた。距離が縮まるにつれ、彼の服から漂う強い酒の匂いが鼻をついた。
「うわ…めちゃくちゃ酔ってるな…」
しゃがみこんで肩を軽く叩きながら、声をかけた。
「すみません、大丈夫ですか? ここで寝てると危ないですよ。」
男性はピクリとも動かない。顔を覗き込むと、目は半分だけ開いている。だが、その視線はぼんやりとしていて、何も見えていないように感じられた。
「すみません、聞こえてますか?」
私はもう一度、声をかけた。すると、男性の口元がゆっくりと動いた。
「……アァ……ォォ……」
その瞬間、全身に寒気が走った。
「何…今の…?」
聞こえてきたのは、明らかに人間の言葉ではなかった。ただの音の羅列――まるで会話を真似しようとして、何かが失敗したかのような、奇妙な音だった。
不安に駆られた私は、一歩後ずさった。そして、改めてその男の顔をじっと見た。
そこに浮かんでいたのは、まるで作り物のような笑顔だった。口元だけがぎこちなく引きつり、無理やり笑顔を作っているように見える。だが、目は笑っていない。焦点が合っておらず、ガラス玉のような無機質な瞳が、ぼんやりと宙を彷徨っている。
「……!」
心臓が跳ね上がった。目の前の男は、明らかに「人間ではない」。それが「偽りの人間」だという確信が、瞬時に頭をよぎった。
「こ、これは…やばい…!」
私は恐怖で動けなくなりそうな体を無理やり動かし、その場を離れようと立ち上がった。
その時――男がゆっくりと頭をこちらに向けた。
「ォ……アァ……」
再び、意味不明な音が漏れた。その音が私の鼓膜にこびりつき、逃げ出したい衝動が全身を駆け巡る。私は振り向きもせず、全力でその場を走り出した。
足音が住宅街の静かな夜に響く。冷たい汗が背中を流れ、心臓が痛いほど脈打っている。何度も後ろを振り返りたくなったが、振り返ってはいけないという直感だけが私を支えていた。
「なんなんだよ、あれ…!」
息を切らせながら曲がり角を駆け抜け、やっと見覚えのある自宅の近くまでたどり着いた。だが、次の瞬間――足が止まった。
目の前に一人の男性が立っていた。
制服を着た警察官のような、だが警備員にも見えるような不思議な格好の男だ。彼は私を見て、ため息をつきながら呟いた。
「こんなところに紛れ込んでしまったのか…」
優しい声で、彼は静かに言った。
「もう、ここには来ちゃダメだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、視界がぼやけ、ふっと意識が遠のいた。
気がつくと、私は帰り道の小道に立っていた。周りを見回すが、路上に寝ていた中年男性の姿はどこにも見当たらない。先ほどまでの異様な光景が嘘のように消え去り、住宅街はしんと静まり返っている。遠くの街灯の明かりが、かすかに暗い路面を照らしているだけだ。
「……何だったんだ、今のは?」
心臓の鼓動がまだ早く、全身に冷たい汗が滲んでいた。夢だったのか、現実だったのか――まったく分からない。だが、あの男の無機質な笑顔と、耳にこびりついた奇妙な音の記憶は、まるで鮮明な悪夢のように残っている。
「本当に…ただの夢だったのか?」
私はふらつく足でゆっくりと歩き出し、自宅へと向かう。静まり返った住宅街の小道は、いつも通りのはずなのに、どこか違うような気がしてならなかった。
何度も振り返るが、誰の姿も見えない――ただ、心の奥に、あの男たちの笑顔がしつこくこびりついて、いつまでも消えなかった。
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