それは、私が仕事で疲れきっていたある夏の夜の出来事だった。
終電を逃してしまい、タクシーで帰るのももったいない気がして、駅から少し遠回りして歩いて帰ることにした。蒸し暑い夜風が吹いていたが、散歩がてら歩くのも悪くないと思った。
道は静かで、街灯がぽつぽつと照らす中、人通りもほとんどなかった。暑さにうんざりしながら歩いていると、ふと目の前にアイスクリーム屋が見えた。
「こんなところに、アイス屋なんてあったっけ?」
私の記憶にはなかった。道の端にぽつんとある、昔ながらの小さなワゴン型のアイスクリーム屋だ。カラフルなライトがぼんやりと光り、手書き風のメニューが貼られている。
「……まぁ、せっかくだし」
私は涼を求め、ふらりとその店に入った。
カウンターの向こうには、白髪交じりの優しそうな老人がいた。涼しげな笑顔を浮かべ、私が近づくと、静かに声をかけてくれた。
「遅い時間にお疲れさま。こんな夜には、アイスがちょうどいいだろう?」
その柔らかな声に、私は自然と緊張がほぐれていった。
「……そうですね、なんだか急にアイスが食べたくなったんです」
メニューには、バニラ、チョコ、ストロベリーなど、シンプルなフレーバーが並んでいる。私は迷った末にバニラアイスを注文した。
老人はにこやかに頷き、手際よくアイスを用意してくれた。手渡されたアイスクリームを一口食べると、驚くほど滑らかで優しい味が口いっぱいに広がった。
「おいしい……」
思わず呟いた。なんだか懐かしいような、安心できる味だった。暑さで疲れた体に、アイスの冷たさが心地よく染み渡る。
「ゆっくり味わっていくといいよ」
老人の声は優しく、どこか温かみがあった。
アイスを食べ終わると、私はすっかり気分が良くなり、疲れがどこかへ消えたように感じた。
「本当においしかったです、ありがとうございます」
そう言って、支払いをしようとすると――
「大丈夫。これはサービスさ。お疲れさまのご褒美だからね」
老人は笑顔を浮かべ、手を振ってくれた。その笑顔が、何とも言えない安心感を与えてくれた。
心がほぐれた私は、軽い足取りでその場を後にした。
しかし――少し歩いたところで、ふと、気になって振り返った。
振り返ってみると――そこにはもう何もなかった。店のワゴンどころか、カラフルなライトすら見当たらない。ただ、夜の街灯が静かに道路を照らしているだけだった。
「え……?」
確かにアイスクリームを食べたはずだ。冷たさも、甘さも、口の中にしっかりと残っているのに――あの店は消えていた。
あれは夢だったのだろうか。それとも、疲れた私に向けた何かの幻だったのだろうか? それ以来、私はあの道を何度も通ってみたが、同じ場所にアイスクリーム屋が現れることは二度となかった。
ただ――今でも、仕事で疲れた夜には、あの優しい味のバニラアイスがふと思い出される。
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