怖い話 奇妙な話 不思議な話 短編集

押し入れの向こうの森 怖い話 奇妙な話 不思議な話 短編集

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僕が引っ越した部屋は、古いアパートの一室だった。古いとはいえ、賃貸の中では比較的綺麗に整っていて、何よりも和室があるのが気に入った。畳の部屋に布団を敷いて眠るというのは、子供の頃以来のことで、どこか懐かしい気分だった。

その和室には、古びた押し入れがあった。昔ながらの木の引き戸で、中には少しの収納スペースと棚があるだけ。普段は荷物や布団をしまうために使っていたが、特に気に留めることもなく、日々を過ごしていた。

ある夜のことだった。深夜、眠りについた僕はふと目を覚ました。部屋の中は真っ暗で、カーテンの隙間から月明かりが薄っすらと差し込んでいる。

目が覚めてしまった原因がわからず、布団の中でぼんやりと天井を見つめていると、視界の端に微かな光が映った。押し入れの隙間から、何かが漏れ出しているような、柔らかい光だった。

「……?」

不思議に思いながら、僕は布団を出て、押し入れの前に立った。荷物や布団以外には何も入れていないはずなのに、そこから光が漏れているのはおかしい。

静かに押し入れの扉を開けてみると――そこには、まったく別の世界が広がっていた。

目の前に広がっていたのは、暗い森の風景だった。押し入れの中は普通の収納スペースであるはずなのに、そこには青白い光に照らされた巨大な木々が生い茂っていた。

その森は、僕が知っているどんな場所とも違っていた。木々はどれも見上げるほど高く、その葉はどこか透明な輝きを放っている。風がそよぐと、木々の間を通り抜ける音が優しく響き、まるで自然そのものが生きているような感覚がした。

僕は呆然とその風景を眺めていたが、どうしても信じられなかった。押し入れの中が、どうしてこんな異世界に繋がっているのか? 頭の中が混乱していた。

しかし、最も不思議だったのは、その森の中で誰かが歩いているのが見えたことだった。遠くの方で、白いローブをまとった人物がゆっくりと森の中を進んでいた。

その人は、こちらに気づくことはないようで、静かに森の中を歩いているだけだった。僕は思わず手を伸ばし、もっとよく見ようとしたが――。

透明な壁のようなものが、僕とその風景の間にあった。まるでガラス越しに景色を見ているように、僕はそれ以上その世界に触れることができなかった。

何度か試したが、どうしても手が届かない。僕はただ、その異世界の風景をじっと見つめることしかできなかった。

その森は、どこか静謐でありながら、不思議な温かさを感じさせる場所だった。風が吹くたびに、木々の葉が揺れ、その青白い輝きが薄く広がる。それを見ていると、なんだか心が落ち着き、時間の流れを忘れてしまいそうだった。

そして――その風景は、しばらくするとゆっくりと消えていった。まるで霧が晴れるように、押し入れの中に広がっていた森が薄れていき、気づくと元通りの押し入れが戻っていた。

その夜の出来事は、まるで夢のようだったが、どうしても忘れることができなかった。翌日、もう一度押し入れを開けてみたが、そこにはいつも通りの押し入れしかなかった。もちろん、光も森も、何もない。

あれは一体何だったのか――。僕は毎晩、同じように押し入れを覗くようになった。もしかしたら、もう一度あの森の風景が見られるかもしれないという期待を抱きながら。

そして、何日かが経ったある晩――再びその光景が現れた。押し入れの中に、またあの森が広がっていたのだ。

それからというもの、僕は何度かその異世界の森を見ることができた。どの夜も、決まって深夜にだけ現れる。そして、森の中を歩くあの白いローブの人影は、毎回見かけたが、こちらに気づくことはなかった。

この現象がいつまで続くのか、あるいは何を意味しているのかは分からなかったが、僕はその不思議な風景を楽しむことにした。現れるたびに、あの静かで美しい森をただ見つめ続けた。

しかし、やがてその風景は、僕が引っ越す頃には現れなくなった。新しい部屋にはもちろん押し入れがあったが、そこにはあの異世界は存在していなかった。

大人になった今でも、時々思い出す。あの古いアパートの押し入れの向こうに広がっていた不思議な森のことを。

もう一度、その光景を見られる日が来るのだろうか――。



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