その日は、仕事が立て込んでしまい、オフィスを出たのは日付が変わる少し前だった。駅に急いで向かった私は、ギリギリで終電に間に合った。改札を抜け、階段を駆け上がり、滑り込むように車両に乗り込む。
「ふぅ…間に合った…」
そう思いながら空いている席に腰を下ろした。車内は静かで、乗客はまばらだった。終電ということもあり、どの人も疲れているように見える。吊り革につかまり、うつむくサラリーマン、窓際でスマホを見ている若い女性、後方に座る中年男性――ごく普通の光景のはずだった。
だが、何かが違う。言葉にできない、漠然とした違和感が胸に広がっていた。
車両の中をちらりと見渡しても、乗客たちは特に変わった様子もなく、それぞれ静かに過ごしている。だが、その「静かさ」が妙に引っかかる。人の気配は確かにあるのに、彼らの存在がどこか遠く感じるのだ。
次の瞬間――私の心臓が跳ねた。
目の前に座っているサラリーマンが、ゆっくりと顔を上げた。だが、その顔には表情というものが全くなく、無機質な笑みが浮かんでいた。目はガラス玉のようで焦点が定まらず、こちらを見ているのか、どこを見ているのか分からない。
「……!」
全身に寒気が走る。思わず隣の席の女性に目を向けると、彼女も同じように笑みを浮かべてスマホを見つめている。だが、その手は微動だにせず、画面を触る素振りすらない。中年男性も、吊り革につかまりながら、同じぎこちない笑顔をこちらに向けていた。
「な、なんだこれ…」
私は思わず立ち上がり、車両のドア付近まで後ずさった。車内の全員が、「偽りの人間」であることに気づいてしまったのだ。
心臓の鼓動が早くなる。逃げたい気持ちでいっぱいだが、次の駅に着くまではドアが開かない。私は視線を伏せ、乗客たちと目を合わせないようにしながら、吊り革につかまった。
次の駅のアナウンスが聞こえるはずだったが、車内はしんと静まり返っている。時折、車両が揺れる音だけが響き、外の風景は暗闇しか見えない。
「どうして…どうなってるんだ…?」
その時、不意に背後から気配を感じた。振り返ると、制服を着た警察官のような、だが警備員にも見える男性が立っていた。彼の姿だけが異質ではなく、普通の人間のように見えた。
彼は私に近づき、ため息をつきながら言った。
「こんなところに紛れ込んでしまったのか…」
その声には、どこか安堵と憐れみが混じっている。そして、私をじっと見つめながら、静かに告げた。
「もう、きちゃだめですよ。」
その言葉を聞いた瞬間、目の前の光景がふっと途切れた。
気がつくと、私は自宅の最寄り駅のホームに立っていた。冷たい風が吹き抜け、夜の静けさが広がっている。終電に乗っていたはずだが、スマホで時刻を確認すると、終電が到着するよりも数本前の時間だった。
「……え?」
どういうことなのか、まったく理解できなかった。先ほどの車両での出来事は、夢だったのか現実だったのか――その区別さえつかなかった。ただ、あの無機質な笑顔と、ガラス玉のような目が、今も鮮明に頭に焼き付いている。
「本当に…あれは何だったんだ…?」
私は震える手でコートを引き寄せ、足早に家路についた。終電前の時間であることに安堵しつつも、胸の奥には得体の知れない恐怖がずっと残り続けていた。
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