その日、私は仕事が立て込んでおり、やむなく深夜までオフィスに残ることになった。普段はできるだけ早く帰るようにしているが、その日はどうしても外せない案件があり、締め切りに間に合わせるために一人で残業を続けていた。
時計の針はすでに深夜1時を回っていた。フロアには私一人だけ。広いオフィスは静まり返り、エアコンの微かな風の音が響いているだけだった。デスクに座り、パソコンの画面に向かって資料をまとめていると、ふと背後に気配を感じた。
「……?」
何かが動いたような感覚がしたが、振り返っても誰もいない。当然だ。ほかの社員はとっくに帰っており、この広いフロアには私一人しか残っていないのだから。気のせいかと思い、再び作業に集中しようとした。
だが、その時だった。
どこからともなく、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。小さくてかすかな泣き声だが、確かに耳に届いている。最初は、外からの音が漏れてきたのだろうと考えたが、深夜のオフィスビルの20階でそんなことがあるはずもない。
「こんな時間に赤ちゃんの声…?」
違和感を覚えつつも、作業を続けようとしたが、泣き声は止まらない。むしろ、次第にその音がはっきりと聞こえてくるようになり、まるで部屋の中で鳴り響いているかのようだった。
不安が胸をよぎり、周囲を見回したが、やはり誰もいない。フロアの隅々まで見渡しても、ただの静まり返ったオフィスが広がっているだけだ。しかし、泣き声だけは途切れることなく続いている。
「これはおかしい…」
私は恐怖心を抑えながら、泣き声の出所を探ろうと歩き出した。声は次第に大きくなり、まるで私を導くようにオフィスの奥へと誘導されるかのようだった。廊下の奥には小さな会議室があり、そこから聞こえているように感じた。
意を決して会議室のドアノブに手をかける。冷たい感触が手に伝わり、心臓が激しく鼓動するのを感じた。恐怖で手が震えたが、ドアをゆっくりと押し開けた。
中は真っ暗で、蛍光灯は消えている。だが、確かにそこから赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。手探りで電気をつけ、室内を確認したが、誰もいない。会議室は普段通りの姿で、椅子が整然と並び、テーブルには資料が置かれているだけだった。
それでも泣き声は止まらない。音の正体がわからず、ますます恐怖が募った。私は会議室を後にし、急いでデスクに戻ろうとしたが、次の瞬間、背後から「バン!」と激しい音が響いた。
振り返ると、会議室のドアが勢いよく閉まっていた。誰もいないはずの部屋のドアが、まるで誰かが内側から叩きつけたかのように強く閉まったのだ。全身に鳥肌が立ち、逃げ出したい衝動に駆られたが、足がすくんで動けない。
泣き声は今度は耳元で聞こえるほど近くなり、まるで私に何かを訴えているようだった。振り払おうとしても、その音はどんどん頭の中に響いてくる。低い嗚咽のような泣き声が、どんどん高まり、次第に叫び声のように変わっていく。
「もう無理だ、ここを出よう!」
私はデスクに戻り、荷物を急いでまとめた。エレベーターへ向かう途中も、背後で泣き声が追いかけてくるように感じた。廊下を歩くたびに、響く足音と泣き声が混ざり合い、まるで何かが近づいてくる気配がした。
ようやくエレベーターに飛び乗り、ボタンを連打した。ドアが閉まる瞬間、何かが見えた気がしたが、怖くて見ることができなかった。エレベーターが下降する間も、胸の鼓動は収まらず、汗が滲んでいた。
1階に到着し、外に出ると、急に泣き声はピタリと止んだ。耳元に響いていたあの不気味な音が消え、辺りはただの静かな夜に戻っていた。私はしばらく呆然と立ち尽くし、現実に戻れない感覚に襲われた。
翌日、出社すると、昨夜の出来事が夢のように感じられた。しかし、あの赤ちゃんの泣き声が現実だったことは確かだ。同僚に話しても、誰もそんな声を聞いたことがないという。ただ、過去にも何人か、夜遅くまで残業していた社員が「泣き声が聞こえた」と話していたことがあるらしい。
このオフィスビルには、何かが取り憑いているのかもしれない。特に深夜には、その存在が顔を覗かせるのだろう。それが何であれ、私はもう二度と一人で深夜まで残りたくないと思った。あの泣き声は、今でも耳に残っていて、ふとした瞬間に思い出してしまう。あれが何を伝えたかったのかはわからないが、もう関わりたくないというのが正直な気持ちだ。
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