その夜、私はいつものように残業を終え、終電に飛び乗った。駅に着いたのはギリギリで、ホームにいたのは私一人。車内は空いていて、私のほかに乗客は二人しかいなかった。
一人はスーツ姿の中年の男性で、もう一人は若い女性だった。どちらもそれぞれ座席に座り、無言で前を見つめている。終電の時間帯だから、疲れているんだろう――最初はそう思っていた。
しかし、すぐに違和感を覚えた。
車内は異様に静かで、二人の様子がおかしい。どちらもまったく動かない。普段なら、誰かがスマホをいじっていたり、寝ていたりするものだが、その二人はじっと前を見たまま、まるで時間が止まっているかのように微動だにしなかった。
私は少し気味が悪くなり、できるだけ彼らと目を合わせないようにしながら窓の外を見ていた。しかし、ふとした瞬間に視線をずらしたとき、目の前の二人の顔が目に入った。
その瞬間、背筋が凍りついた。
表情が明らかにおかしい。生命感がまったく感じられなかったのだ。目は焦点が合わず、どこかガラス玉のように無機質で、どこを見ているのか分からない。口元は微かに引きつって、笑っているようにも見えたが、その笑顔はまるでロボットが笑顔を模倣しようとして失敗したかのような、ぎこちないものだった。
「……」
私はその場で固まり、彼らの動向を警戒しながらも、動けなかった。何かが明らかにおかしい。人間ではない、そう直感的に感じた。
すると、中年の男がゆっくりと口を開いた。彼が私に向かって何か言おうとしていることは分かったが、耳に届いたその「声」は、理解できるものではなかった。
「カ…ッ、オァ……ェェェ……」
言葉のようでいて、意味を成していない。ただの音の羅列だ。まるで日本語を知っているが、その使い方を理解していない何者かが、無理やり会話を模倣しているような、そんな不気味な音だった。発音も不自然で、言葉のリズムが狂っている。
「なんだ…これは…」
恐怖が胸を締め付け、私はその場から逃げ出したい衝動に駆られたが、体が動かない。心臓の鼓動がどんどん早くなるのを感じる中で、今度は若い女性が私の方をじっと見つめていた。
その目は、明らかに人間のものではなかった。焦点の合わない、ガラス玉のような無機質な瞳。顔は無表情のままだが、口だけがわずかに引きつり、笑顔とも呼べない微妙な形に変わっていた。
「ォォ……ェェェェ……」
彼女もまた、意味不明な音を発し始めた。彼女の口から漏れ出す声は、全く理解できない。ただ、何か言いたいのだろうことは感じられる。だが、その言葉が何なのかは、知ることはできなかった。
「……っ!」
もう耐えられなかった。私は勢いよく立ち上がり、次の駅で降りようと決意した。幸運なことに、その時ちょうど電車は減速し、私が降りる予定の駅に差し掛かっていた。
電車が止まり、扉が開くと、私はほとんど飛び出すように車外へと降りた。心臓はまだバクバクと鳴り響いていたが、ようやく息ができたように感じた。
「なんだったんだ…あれは…?」
ホームに立ち、深呼吸をしながら落ち着こうとした。その瞬間、ふと背後から視線を感じた。何かに見られている感覚がしたので、恐る恐る振り返った。
――そこには、まだあの二人が座っていた。
窓越しに、無表情のまま、じっとこちらを見つめている。焦点の合わない、ガラス玉のような瞳で。ただ、私を見ているだけ。それなのに、全身が凍りつくような恐怖が広がった。
電車が動き出すと、二人はそのまま車内に座り、私を見続けていた。車両が視界から消えるまで、彼らの視線は一度も離れることなく、ずっと私を追っていた。
電車が消え去ったあとも、その恐ろしい無機質な視線は、私の心に深く刻み込まれてしまった。それ以来、終電に乗るのが怖くて仕方なくなった。あの二人は、本当に人間だったのだろうか――いや、きっと何か別の存在だったに違いない。
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