目次
壁の中の音
Hさんは、古いアパートに一人で住んでいました。このアパートは築年数が古く、周囲も静かな住宅街にあり、住人はほとんど顔を合わせることがありませんでした。Hさんが住んでいる部屋の隣は、長い間空き部屋で、誰も住んでいませんでした。
ある日、突然隣の部屋に新しい住人が引っ越してきました。引っ越しの日、Hさんは自室で音楽を聞きながらリラックスしていると、ドアのチャイムが鳴りました。玄関を開けると、引っ越しの挨拶に来た隣人が立っていました。30代半ばの礼儀正しい男性で、簡単な挨拶とともに菓子折りを手渡してきました。
「どうも、隣に引っ越してきました。これからよろしくお願いします。」
Hさんはその礼儀正しい態度に好感を持ち、気持ちよく挨拶を返しました。廊下で顔を合わせた時も、隣人は必ず笑顔で挨拶をしてくれ、特に怪しい雰囲気もなく、むしろ気持ちのいい人だと感じました。
しかし、隣人が引っ越してきたその夜から、Hさんは奇妙な音に気づき始めました。
壁の中から聞こえる音
それは夜中のことでした。Hさんが寝ようとしてベッドに入ってしばらくすると、隣の部屋から「カタ…カタカタ…」という音が微かに聞こえてきたのです。まるで何かが壁の中で動いているかのような音でした。
「何の音だろう?」
最初は気にしないようにしていましたが、音は毎晩続くようになり、Hさんは次第に気になり始めました。音自体はうるさくはありませんが、不規則に鳴り響くその「カタカタ」という音が、徐々にHさんの心に不安を植えつけていきました。
隣人との会話
ある日、隣の住人と廊下で顔を合わせたHさんは、思い切って夜中の音について尋ねることにしました。
「最近、夜中に隣の部屋からカタカタ音がするんですけど、何か作業をされているんですか?」
隣人は驚いたように眉を上げ、「え?」と首をかしげました。
「実は、それを聞きたかったんです。私も毎晩、夜中にカタカタ音が聞こえていて、ずっと気になっていたんですが…その音は、あなたの部屋から聞こえているように思っていました。」
Hさんは驚きました。お互いに、自分ではないかと思っていた音が、実はどちらの部屋からも出ていないことが分かったのです。二人は顔を見合わせ、ますます不気味さが増してきました。
そこで二人は音の正体を確かめようと、夜中に部屋に戻って音が鳴った時に一緒に確認することにしました。
壁の中から聞こえる音
その夜、Hさんと隣人は壁に耳を当てて音を探りました。すると、明らかに「カタカタ…」という音が、Hさんの部屋と隣人の部屋の間にある壁の中から聞こえていることに気づきました。
「まさか、ネズミか何かが壁の中にいるのか…?」
隣人はそう提案しましたが、Hさんはどうにも違和感を感じました。音は動物の足音とは違い、機械的なような、不規則なような、不気味なリズムで鳴り続けていたからです。二人は顔を見合わせ、言葉を失いました。
それから数日間、Hさんはその音が気になって仕方がなくなりました。夜中に目を覚ますと、必ずその「カタカタ…」という音が壁の中から聞こえてきます。気持ち悪さを感じながらも、音の正体を突き止めることができず、不安な日々が続きました。
壁からの声
そして、ある晩、Hさんはついにそれを耳にしました。夜中、いつものように「カタカタ」という音が聞こえてきた後、不意に壁の中からかすかな声が聞こえたのです。
「助けて…」
Hさんは全身が凍りつきました。確かに、壁の中からかすかに聞こえたのは、誰かが助けを求める声でした。
「まさか、幻聴か…?」
自分でも信じられず、Hさんは壁に耳を押し当ててもう一度確かめましたが、声はもう聞こえませんでした。恐怖に駆られたHさんは、その夜一睡もできませんでした。
翌日、Hさんは隣人にこの出来事を伝えようと思い、玄関を出ました。しかし、そこで驚くべきことを知りました。隣人は、突然引っ越してしまっていたのです。
管理人に聞くと、隣人は引っ越し前日に、「どうしても夜中の壁から聞こえる声が恐ろしくて、ここにはもう住んでいられない」と言い残して去っていったということでした。
Hさんはその言葉を聞き、ぞっとしました。隣人もまた、あの声を聞いていたのです。
奇妙な静けさ
それ以来、隣の部屋は再び空き部屋となり、音や声はぴたりと止みました。夜中の静寂が戻り、奇妙な音が聞こえなくなったことに、Hさんはほっとする反面、どこか不気味さを感じていました。
「もしかして、あの音や声は隣人に憑いていた幽霊だったのか…?」
Hさんはそう思わずにはいられませんでした。隣人が去った途端に音が消えたことが、まるでその奇妙な何かが隣人とともに去っていったかのように感じられたからです。
それ以来、Hさんは夜中に音がしないことに安堵しながらも、どこか背筋が冷たくなる感覚を覚えています。隣人に憑いていた「何か」は、今どこにいるのだろうか、と考えると、今でもぞっとする思いが胸をよぎるのです。
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