入院生活が始まって、どれくらい経ったのだろうか。病室の天井を見上げるのが日課になっている。僕は50代のサラリーマン。これまで、真面目に、ただただ仕事に打ち込んできた。独身で、友人もほとんどいない。会社ではそれなりに信頼されていたけれど、退院したら遊びに行こうなんて誘われたことは一度もなかった。
初期の入院では、会社の同僚たちが見舞いに来てくれた。フルーツや雑誌を持ってきて、「早く良くなってください」と励ましてくれた。だが、それも最初だけだった。
今では、僕を訪れる人はもう誰もいない。
目次
衰えていく身体
病は静かに、しかし確実に僕の身体を蝕んでいる。最初は歩けていた足も今では力が入らない。食欲もほとんどなく、スプーンを持つ手すら震えるようになった。痩せ細った腕を見るたびに、「もう長くないな」と直感する。死が近づいていることは、誰よりも僕自身がよくわかっていた。
夢の中の「もうひとりの自分」
最近、不思議な夢を見るようになった。夢の中では、僕は小さなテーブルの前に座っていて、目の前には自分自身がいる。彼は、僕と同じ顔をした別の「僕」だ。
「どうだ、君の人生は?」
向かいに座った「僕」は、毎晩そんな風に人生について尋ねてくる。最初は戸惑いながらも、僕はその質問に素直に答えるようになった。
「……悪くはなかったよ。ただ、もう少しプライベートを楽しんでみたかったかな」
そう言いながら、自分の人生を振り返る。
仕事に追われて、友達を作ることもなく、恋愛も遠ざけてしまった。いい人がいれば結婚して、子供の成長を見守る生活もあったかもしれない――そんな「もしもの人生」を考えてしまう。
「……人生は一度きりだからな。もう少しやりたいこと、やればよかったかな」
向かいの「僕」は、ただ優しく微笑みながら、何度もうなずいてくれる。それがなぜか心地よくて、僕はその夢の中で、少しだけ救われた気持ちになっていた。
装置が知らせる異常
現実の僕の身体は、どんどん弱っていった。いつの頃からか、心臓の鼓動や呼吸を監視するための機械が身体中に取り付けられるようになった。
「これは、何のための機械なんですか?」と看護師に尋ねても、「あなたの心臓や呼吸を見ているんですよ」と穏やかな声で言われるだけだ。どこか他人事のような説明に、僕はただ曖昧にうなずいた。
そんなある日――。
ピーピー!
機械が、けたたましい警告音を発し始めた。最近は、しょっちゅうこんな状態だ。良く警告音がなる。
すぐに看護師や医者たちが駆けつけ、慌ただしく僕の周りに集まってくる。
いつもは、看護師や医者がきてしばらくすると音は消えるのだが、今回は違うようだ。
誰かが大声で何かを叫んでいるが、もう耳に入らない。
僕は――ただ、静かにまぶたを閉じた。
夢の中の「扉」
まぶたを閉じると、いつもの夢の世界が広がった。
僕はまた小さなテーブルの前に座り、向かいに「僕」がいる。彼は穏やかな表情で、いつもと同じように語りかけてきた。
「もう一度、今度は、君が言っていたような人生を生きてみたいか?」
僕は静かにうなずいた。
「できるなら――やってみたいよ。友達を作ったり、恋をしたり、結婚して家族を持つような人生も、悪くなさそうだ」
向かいの「僕」は笑った。そして、テーブルの隣にいつの間にか扉が現れたことに気づいた。
「じゃあ、この扉を開けなさい」
扉の向こうへ
気づくと、僕の目の前には不思議な扉が立っていた。淡い光に包まれて、まるでどこかに続いているかのような、温かな雰囲気を纏っている。
僕はゆっくりと立ち上がり、その扉に手をかけた。取っ手は冷たくなく、柔らかい感触が手に伝わってきた。
扉の向こうには、何が待っているのかは分からない。でも、不思議と怖くはなかった。
「じゃあ――行ってくるよ」
振り返ると、向かいの「僕」が笑顔でうなずいていた。その笑顔を見て、僕は扉をゆっくりと開けた。
扉の向こうには、新しい何かが待っている。
僕はその中に、一歩――踏み出した。
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