怖い話 奇妙な話 不思議な話 短編集

扉の向こうで 怖い話 奇妙な話 不思議な話 短編集

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病室の静寂

50代のサラリーマン・村上は、無機質な病室の天井を見上げながら、自分の体が日に日に衰えていくのを静かに受け入れていた。病名を初めて聞かされたときは驚きもしなかった。長年の不摂生が招いた結果だろうと思っただけだ。

「ま、こんなもんか……」

最初のうちは同僚たちが見舞いに来てくれたが、それも最初の数回だけだった。もう誰も来ない。病室には時計の針が進む音と、たまに機械が吐く電子音が響くだけだ。

食欲は失せ、体は骨と皮ばかりになり、ベッドから起き上がるのも苦しい。ベッドの横に置かれた点滴スタンドだけが、ゆっくりと命をつなぐ糸を垂らしている。

「まあ、こんなもんだろ……」

村上は、これまでの人生を反芻するたびに、心のどこかにぽっかりと空いた穴を感じていた。長い間、仕事だけに没頭してきたが、誰かと何かを分かち合った記憶はほとんどない。

「……それも、まあ……しょうがないか」

不思議な夢

そんな彼は、最近奇妙な夢を毎晩のように見るようになった。

夢の中で彼は、小さなテーブルを挟んで、もう一人の「自分」と向き合っている。もう一人の自分は村上と同じ顔をしているが、どこか柔らかい笑みを浮かべている。その微笑みは、まるでずっと昔の親しい友人に久々に会ったときのような、温かみのあるものだった。

「お前の人生、どうだった?」

もう一人の自分がそう尋ねてくる。村上は少し考えた後、ゆっくりと答える。

「悪くはなかった。仕事も真面目にやったし、社会の役に立ったとは思うよ。ただ、もうちょっと……プライベートを楽しんでもよかったかな」

「例えば?」

「友達を作ってみたり、誰かと付き合ってみたりさ。いい人がいたら結婚して、子供も見てみたかったな……」

村上はそう呟くと、静かに笑った。
「でも、まあ、もう遅いけどな」

もう一人の自分は、いつも「そっか」と優しく頷くだけだった。村上はこの夢の中でだけ、不思議な安らぎを感じるのだった。

近づく終わり

病状は悪化し、体には複数の装置が取り付けられた。心拍を測るモニターや、呼吸をサポートする機械。村上はその意味をいちいち尋ねる気力もなく、ただ日が過ぎるのを待つだけだった。

そんなある日――。

「ピーピー」

機械が突然、鋭い警告音を出した。看護師たちが慌てて部屋に駆け込み、医師が指示を飛ばしている。誰かが彼の名前を何度も呼ぶが、村上にはもう耳に届かない。

まぶたを開けているのも辛く、村上は静かに目を閉じた。

扉の前で

気がつくと、村上はいつもの夢の中にいた。目の前のテーブルには、もう一人の自分が座っている。相変わらずの優しい微笑みを浮かべて、彼をじっと見つめていた。

「さて、どうする?」

村上は首をかしげた。
「どうするって?」

もう一人の自分は、少し笑いながら言った。
「もう一度、別の人生を試してみないか? 今度はもっと自由に、もっと自分のために生きるんだ。友達も作って、恋もして、子供がいる人生も――」

村上は一瞬、迷った。
「そんなことが……できるのか?」

「できるさ。」

その言葉には不思議な力があった。まるで、自分でも忘れてしまっていた何か大切なものを思い出させるような響きだった。

「……できるなら、生きてみたいな。」

そう呟くと、もう一人の自分は穏やかに微笑み、軽く顎で示した。

「じゃあ――この扉を開けろ。」

村上が振り向くと、いつの間にか目の前に一枚の扉が現れていた。古びた木の扉だが、どこか温かい雰囲気を持っている。

扉の向こうへ

村上は少しの間、その扉を見つめていた。心臓が鼓動する感覚が、久しぶりに力強く感じられる。

――もう一度、生きる。

その言葉が胸に響き、彼は意を決して扉の取っ手に手をかけた。

「……じゃあ、行くか。」

扉をゆっくりと開けると、温かい光が彼を包み込んだ。その光は、心地よく、どこまでも柔らかい――。

村上は、穏やかな微笑みを浮かべながら、光の中へと足を踏み出した。

その先で、彼を待っている人生はどんなものなのか。

それは誰にもわからない。ただ一つ確かなのは、村上が新しい扉の向こうで、ようやく「自分の人生」を始めようとしているということだけだった。

その扉は、ゆっくりと音もなく閉じ、後には何も残らなかった。



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