目次
病室の日々
老人・高橋は、病院のベッドに横たわりながら、自分の最期が近づいていることを静かに受け入れていた。
病気は彼の体を容赦なく蝕み、食欲は失われ、体はやせ細り、立ち上がることすらできなくなっていた。年齢も年齢だ――これ以上生きられないことは、誰よりも自分自身がよくわかっていた。
しかし、高橋は悲観することなく、自分の人生を満足していた。
友人に恵まれ、素晴らしい妻と子供たちがいて、孫も何人かいる。彼らに囲まれて暮らした人生は、決して悪くないどころか、幸せそのものだった。
それでも――。
どこか心の奥底で、もう一つの人生への小さな憧れが消えずに残っていた。
「未来の世界……」
科学が進み、宇宙を飛び回り、不老不死の技術があるような世界――そんな夢想が、少年の頃から彼の心の隅にずっとあった。
「もちろん、そんな未来まで生きられるはずもないけど……」
ベッドの上でそう呟きながら、彼はふと微笑む。
不思議な夢
そんな高橋が、最近毎晩のように奇妙な夢を見るようになった。
夢の中、高橋は小さなテーブルを挟んで、もう一人の「自分」と向かい合っている。そのもう一人の自分は、若々しい表情で優しい笑みを浮かべていた。
「どうだった? お前の人生は。」
夢の中でいつも尋ねられるその質問に、高橋は穏やかに答える。
「良い人生だったよ。家族にも恵まれたし、友人も多かった。孫まで見られて、満足してるさ。」
「ただ……」
もう一人の自分が、にこりと笑って促す。
「ただ?」
「本当は、もっと科学が進んだ未来の世界を生きてみたかったなぁ……。宇宙を飛び回ったり、ロボットが友達だったり、不老不死の研究なんかもあったりする世界さ。……夢みたいな話だけどな。」
高橋はそう言って、照れくさそうに笑った。夢の中では、未来への憧れを素直に語ることができた。
「まあ、そんな世界に生きるなんて無理だろうけど……もし、できるなら生きてみたかったなぁ。」
夢の中の「もう一人の自分」は、いつも優しく笑いながら頷いていた。
家族との別れ
現実の高橋の体は、日を追うごとに衰えていった。
そしてある日――彼の家族が病室に集まってきた。
妻も子供たちも、孫たちも、みんなが高橋のベッドの周りに集まり、涙を浮かべ、心配そうな顔で彼を見つめていた。
高橋は、その姿を見ながら、「そんな顔をしないでくれ」と思った。
「私は十分生きた。みんなのおかげで、とても良い人生だったよ――」
そう伝えたかったが、声はもう出なかった。
代わりに、彼は最後の力を振り絞り、微かな笑みを浮かべた。
その笑顔に気づいた家族たちは、一瞬、悲しみの中に柔らかな表情を浮かべた。
それだけで高橋は、すべてが報われたような気がした。
未来への誘い
しばらくして――医者や看護師たちが慌ただしく病室に集まった。
「ピーピー」という警告音が響く中、彼の体は機械に囲まれ、誰かが彼の名前を呼ぶ声が遠くから聞こえてきた。
だが、高橋はもうその声に応える力もなく、静かに目を閉じた。
そして――目を開けると、いつもの夢の中だった。
小さなテーブルを挟んで、もう一人の自分が優しく微笑んでいる。
「どうする?」
「どうするって……?」
夢の中の自分は柔らかい声で言った。
「未来の世界で生きてみたいって、言ってただろ?」
高橋は、目を細めて微笑んだ。
「できるなら……生きてみたいさ。」
「なら――」
もう一人の自分は、顎で軽く示した。
「この扉を開けるんだ。」
扉の向こうへ
高橋が顔を上げると、目の前に一枚の扉が現れていた。未来的な機械の扉ではなく、木製で温もりのある古びた扉。どこか懐かしい雰囲気を持ちながらも、その向こうに何か新しい世界が待っているように感じられた。
高橋は、ゆっくりと立ち上がった。――不思議なことに、体は驚くほど軽い。
「本当に、未来が待ってるのか?」
「さあ、どうかな?」
もう一人の自分は、いたずらっぽく微笑んだ。
「でも、行ってみないと分からないだろ?」
高橋は笑いながら、扉の取っ手に手をかけた。
「そうだな。じゃあ――行ってみるか。」
彼はゆっくりと扉を開けた。
その瞬間、扉の向こうからまばゆい光があふれ出し、心地よい風が彼の体を包んだ。
宇宙の果てか、未来の街か、それとも見知らぬ星の大地か――どんな世界が待っているのかは分からない。
だが、高橋はその光の中へ、一歩、また一歩と足を踏み出していった。
その扉の向こうには、どんな未来が広がっているのだろうか。
それは誰にも分からない。ただ一つ確かなのは、高橋が新しい世界に向かって歩き出したということだった。
扉は静かに閉じ、病室には、深い静寂が広がった。
そして――どこか遠くで、未来の星の輝きが微かに瞬いた。
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