「ここ、家賃めちゃくちゃ安いんですけど……何かあるんですか?」
俺は、不動産屋で紹介された物件の契約前に、念のため聞いてみた。
築30年、2DK、家賃2万円。
明らかに相場より安すぎる。
すると、担当の男性が微妙な顔をした。
「ああ……はい。実は……告知事項ありの物件になります」
告知事項——要は、心理的瑕疵があるってことだ。
つまり、過去に自殺や事故死、もしくは何らかの事件があった物件であることを示す。
「……何があったんですか?」
「……少し特殊な事案でして」
担当者はやや言い淀んだ後、静かにこう言った。
「**前の住人が『召喚儀式』をしていたらしいんです」
「……は?」
「何かを呼び出そうとしたみたいで……結果的に、その方は行方不明になりました」
「……失踪?」
「はい。ただ、その方がいなくなった翌日、室内の壁に異様な爪痕のようなものが残っていたそうです」
担当者は淡々と話し続けた。
「……でも、気にされなければ、契約自体は問題ありません」
俺は妙な不安を抱えながらも、結局その部屋に住むことにした。
それが、すべての始まりだった。
目次
異様な部屋
引っ越し当日。
部屋に足を踏み入れた瞬間、すぐに違和感を覚えた。
壁の一面にだけ、微妙な黒ずみが広がっているのだ。
まるで何かをこすりつけたような痕跡——否、誰かが爪を立てて引っかいた跡のように見える。
「……これが、担当者が言ってたやつか」
気味が悪かったが、住んでいればそのうち気にならなくなるだろうと思った。
しかし、その夜から異変は始まった。
午前3時の物音
その日の深夜3時過ぎ。
「カリ……カリ……カリ……」
壁の向こうから、何かが爪で引っかくような音が聞こえてきた。
「……は?」
隣人だろうかと思ったが、そこは角部屋だ。
壁の向こうに部屋はない。
「……気のせいだ」
そう思って寝ようとするが、音は止まらない。
「カリ……カリ……カリ……」
しかも——
音が壁の一点からだけ聞こえている。
まさに、爪痕の残っている場所から。
俺は金縛りのように布団から動けず、朝までその音を聞き続けた。
呼び出されたもの
翌日、不動産屋に連絡しようとしたが、なぜかスマホが圏外になっていた。
「おかしいな……」
Wi-Fiも繋がらない。
だが、何より異様だったのは、昨夜の爪痕の場所がさらに黒くなっていることだった。
まるで何かが内側から壁を押しているような違和感。
「……マジでやばいかも」
急いで退去の相談をしようとしたその時——
カリ……カリ……カリ……
また聞こえた。
しかも、今度は壁だけじゃない。
部屋の隅の床下からも、同じ音がする。
「……っ!!」
恐る恐る床に耳をつけると、
「みつけた……」
——はっきりと聞こえた。
魍魎の召喚儀式
限界を感じた俺は、部屋を飛び出し、不動産屋に駆け込んだ。
「すみません!! あの部屋、マジでやばいです!!」
担当者は顔色を変え、すぐに奥へ消えた。
やがて、別の年配の男性(店長らしき人)が出てきた。
「……あの部屋、何か聞きましたか?」
「壁の中から……何かがいるんです」
その瞬間、店長の顔が青ざめた。
「……やはり、出てしまったか」
「出たって……何が?」
店長はしばらく沈黙した後、こう言った。
「前の入居者は……"魍魎召喚の儀式"をしていました」
「……魍魎?」
「ええ。召喚して、何かを呼び出そうとしたんです。でも、結果的にその人は行方不明になり、壁の中に何かが取り残された」
「……じゃあ、あれは?」
「おそらく、魍魎そのものです」
俺は凍りついた。
「今すぐ引っ越したいです!!」
「……ええ。ただ、一つだけ注意してください」
「……何ですか?」
「壁の爪痕に触れないこと。 あれに直接触れると、"取り込まれる"可能性があります」
最期の瞬間
その夜、俺は急いで荷造りをした。
だが、ふと気づいた。
壁の爪痕が——
明らかに「穴」になっていた。
震える足で近づくと、穴の奥から視線を感じた。
「……みつけた……」
バンッ!!
穴から、何かの腕が飛び出してきた。
それは人の腕ではなかった。
ガリガリに痩せ、爛れた皮膚の腕。
「うわあああ!!」
俺は逃げようとしたが、腕が俺の足首を掴んだ。
「連れていく……」
意識が落ちる瞬間、俺は確かに見た。
壁の中に引きずり込まれ、前の入居者と同じ姿になった自分を。
後日談
数日後、不動産屋はまた新たな入居者を募集し始めた。
物件情報にはこう書かれている。
【告知事項あり】
心理的瑕疵:前入居者失踪・行方不明
そして、備考欄には小さく——
「現在、壁の補修中(次の入居者募集中)」
その爪痕は、また増えている。
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